数年前、精神的日本のルーツと自己のポップスの融合というテーマで、「INCARNATIO」というアルバムを制作した。この作品は主に、縄文から弥生に至る中で、東南アジアに派生した文化が、沖縄を経由、九州、出雲、大和、そして北海道へと広がっていった過程に存在する、源日本的信仰観としてのアニミズムを根幹にすえたラブソングで構成した。沖縄やアイヌの方々の協力も得た。そして、初めて和太鼓という楽器を取り入れる試みもした。
そのとき僕は内藤哲郎という和太鼓奏者と知り合える機会を得たのだ。

ポップスは言うまでもなく外国産のルーツをもつ。つまり、教会旋律を起源に発展してきた音楽がベースになっている。これをあえて西洋音楽と呼ぶことにしよう。それらは実に緻密な論理体系をもっている。しかし、そのほかの伝統的、あるいは民族的音楽は、それぞれ論理的な決まりごとをもっていても西洋音楽のような幾何学的、数学的論理をもっていない。むしろそういった数学的な構築より、より感覚的なメソッドを重要視するように思う。したがってポップスというものが西洋音楽のベクトルをもつ以上、制作工程においてその数値的構造を無視するとなかなかやっかいなものになる。
つまり、感覚の譜面化という作業がある程度必要になってくる。伝統音楽家の多くがこの所作を嫌ったり否定的と考えるのに対して、内藤氏はとてもフレキシブルであった。本来数人の違った奏者の息を合わせることにその醍醐味を見せる和太鼓のパフォーマンスを解体して、コンピューターのクリックテンポに対して、自分が多重録音を試みる。彼のこういった姿勢が伝統的にどう思われるのかは別として、和太鼓そのものの可能性や魅力を引き立てるのにはとても有効なんじゃないかと思ったものだ。

しかし、彼の中にはそういった革新的姿勢だけでなく、基本は伝統に対してのリスペクトがある。だから説得力がある。『朋郎』というユニットはそういうDNAを持ったユニットだと思う。何故ならこの武田朋子という笛奏者には、内藤哲郎と同じ匂いを感じるからなのだ。その音色やアプローチを聴いているだけで・・・何よりも伝統の継承を忘れないでいようとする姿勢、そしてその中に、この国の中で民族楽器として存在し続けた笛の音の可能性を貪欲に模索しようとする姿勢・・・いやそういったことこそが『朋郎』というユニットの根幹なのかもしれない。つまりそこに、僕は鮮烈な魅力を感じているのだ。いつか、彼らの生演奏を聴いてみたい。素直にそう思う。

角 松 敏 生




心地よいリズムを刻める内藤さんの曲は、和太鼓を“伝統楽器”の枠から飛び出して、
“楽器”として生かした《潔さ》を感じます 

しかし不思議な懐かしさも感じられるのです 
まさに伝統と革新が両立しているのではないでしょうか 

これからもこのアルバム同様に“潔い”曲を発表し続けてくれることでしょう

市 川 染 五 郎


最初の音の出だしから、勝負あり。
横文字では簡単に言い表わせない感覚の波が次々と流れ出す。 
この感覚が”ハレ”というものなのだろう。
この波がどんどん広がってアジアにも、世界にも 流れ続けますように。

久 保 田 麻 琴


すばらしいバランス感覚!
軽快な江戸囃子や重厚な和太鼓、やさしく力強い笛の音色、
また鍵盤ハーモニカ、ドラム、ジャンベなどの楽器も巧みに組み込まれ、
「朋郎」ならではの世界が展開する。
ひとつひとつの曲が、アイディアに富んでいてタイトに完成していて、
それをさらりと演奏するんだから凄いよ「朋郎」!

渡 辺 亮


『ケ』を感じるいつもの終着点。『ケ』に含まれる当たり前の日常。
現代の生活において『ハレ』の持つ非日常的な出来事が毎日の退屈な生活パターンを
忘れさせ、心に潤いを与えてくれる。

ギスギスした現代社会の中で『ハレ』の持つ懐かしい安らぎをこの『朋郎』が心の奥底に
追いやられた『ハレ』を掘り起こし思い出させてくれる。
優しく懐かしい忘れかけていた情景が心の中に温度を伴い広がり ゆっくりと体に浸透し
て行く。
現代の生活では感じられない良質の『ハレ』がここには存在する。
うれしい事に外では満開のサクラと青い空が見事なコントラストで私を包み込む。

なんだかとても気分がいい。今日は少し上を見て 空を感じながら歩いてみたい。


DJ KRUSH


今やちょっとした邦楽ブーム。日本各地の様々なトラッドが若い世代の間で支持されている。何故若い世代の間でそうしたJトラッドが人気を集めるのかと言えば、日本人としてのアイデンティティを再認識させてくれるからかも知れない。

都内を中心にライヴ活動中の和太鼓奏者、内藤哲郎(ex鼓童)と横笛(篠笛、能管)奏者の武田朋子の2人からなるユニット“朋郎”は、そんな日本人の精神性をいたく刺戟しながらも、Jトラッドの発展形、いや未来形を呈示してくれる希少な存在だと思う。

江戸囃子に始まり、楽曲によってはニューオリンズ的なリズム・シンコペーション、ケルトを思わせる旋律、フォルクローレ的な叙情性、ヌービア的悠久性、或いはインドネシアもアフリカも感じられる。そうしたワールド・ワイドな広がりは、文化や地域の違いよりは太古からの共通基盤を思い起こさせる。考えてみれば、縄文の頃の信仰は世界的に共通した自然信仰が中心だったのだ。もしかしたら“The World Is Only One”こそが朋郎の隠れたメッセージなのかも知れないなどと、思いを馳せる。

中でも和的な「鎌倉〜宵宮」篠笛と太鼓のフリー・フォームな絡みと起伏に富んだ演奏は、忘れ去られていた日本人のプリミティヴな感性を鼓舞するかのような躍動感に満ちている。

HIDEKI MASUBUCHI/増 渕 英 紀